十九条城

別名-  付近住所 岐阜県瑞穂市十九条 現在 津島神社
2008/9/15 案内板アリ 日本城郭大系


織田勘解由左衛門  ここには「屋敷」という小字名があり城屋敷の名残を示している。また犀川が西で半円を描いて流れ、天然の要害をなし、城地として適地であった。永禄4年(1561)5月織田信長は西濃へ入り「州俣」(墨俣)の要害を固めて滞在していたが斉藤氏が軽海(真正町)へ出兵して備えを固めたと知るや西軽海へ出兵し戦いをいどんだ。激闘の後、斎藤方は引き上げたが、信長は州俣(墨俣)城だけは充分でないとして十九条村に一城を築き、一族の織田勘解由左衛門信益(犬山城主織田十郎左衛門舎弟)を城主とした。軽海の戦いで勘解由左衛門は戦死し、城は焼かれ以後復興されなかった。